【映画レビュー】「1980年生まれ キム・ジヨン」 少々オーバーなようですがコン・ユは素敵でした

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公開されてすぐに「1980年生まれ キム・ジヨン」を見に行きました。

簡単に感想を記録したいと思います。
ネタバレもありますので、ネタバレしたくないという方はこの先はお控えください。

言葉を選ばず言うと・・・胸くそ悪い映画(;O;)

オブラートに包まず言うと、95%くらい胸くそ悪い映画でした。

主人公のキム・ジヨンが、映画の全般に渡って、
社会や家庭にある理不尽なことにぶちあたり、ストレスを感じる映画だったので、
私自身も同じようにストレスを感じました。苦笑

この映画のテーマはフェミニズム

フェミニズムが何なのかよくわかっていませんが、Wikipediaによると

女性解放思想、およびこの思想に基づく社会運動の総称

だそうです。

男性優先の社会をやめ、女性優先も推進していくということでしょうか。

キム・ジヨンを見て、「普通になってしまっているけど、よく考えたら女だから我慢していることってあるな」と、映画をきっかけに改めて気づいたポイントはいくつかありました。

※以下、ネタバレあります。

主人公のキム・ジヨンは、女性であるということによって、
人生の中でいろいろなストレスを受けたり、進路を諦めたり、
キム・ジヨン本人でなくても、周りの女性たちが諦める姿、様子を見ていたりしています。

そんな、見えないストレス、解決できない問題を受けて、
キム・ジヨンに多重人格の症状が現れます。

キム・ジヨンではない人格になったときの記憶は、キム・ジヨンにはありませんが、
他の人格になったとき、キム・ジヨンが我慢している気持ち、思っている本当の心が現れます。

他の人格たちが「キム・ジヨンだけこんな思いをするのはかわいそうだ」と、周囲に訴えるのです。

姑問題は解決しにくいですよね

例えば、お正月に旦那さんの実家で、お姑さんにこき使われているとき。

キム・ジヨンは、自分の実家にも帰りたいのに、
正月はいつも旦那さんの実家に行き、あくせくと家事をこなします。

旦那さんは、キム・ジヨンが多重人格になっていることを最初に気づいた人で、
キム・ジヨンの様子がおかしいので、このときばかりは早く実家から帰ってゆっくり休ませようとしていました。

しかし、自宅に帰ろうとした矢先、旦那さんのお姉さん(キム・ジヨンのお義姉さん)が姑の家に急に遊びに来てしまい、帰るに帰れなくなった上、
姑は「(キム・ジヨンのお義姉さんに)何か果物でも用意してあげて」と、
キム・ジヨンに家事を命じます。

姑の世話なら百歩譲って我慢するけど、なんでお義姉さんの世話まで…。

その瞬間、キム・ジヨンは、キム・ジヨンのお母さん「ミスク」の人格になります。

ミスクは、「私も娘(キム・ジヨン)に正月は会いたいのに、旦那の実家にばかり行かせて、家事までさせて、ひどいじゃないですか」と言います。

旦那一家は騒然。

旦那さんは、多重人格の症状が出たことに気づき、理由はあとから説明すると言って、大慌てで自宅に帰りました。

嫁姑問題は、家庭によって違いますが、こんなふうな息子溺愛で昔ならではの考えを持っている姑だったら、今の時代の考え方を理解してもらうのは到底不可能に近いとおもいます。

うーん、イライラする…(笑)

韓国でも実はここまでひどくない


韓国語の先生に、キム・ジヨンの話をしたところ、

「1982年生まれの主人公ではあるが、1982年生まれは、正直ここまで男尊女卑の社会ではない。
むしろ1972年生まれの方が近い。下手したら1960年代生まれの話かも。」

と言っていました。

今回の映画は、原作に忠実な作品でしたので、
物語をわかりやすくするために、原作からして少しオーバーに演出しているように思います。

韓国の映画は、「パラサイト」のおかげで注目されているかもしれないが、
この文化が韓国全体の文化だと勘違いされるのは嫌だな
とも言っていました。

原作と映画の違い

映画と原作の違いの中で、
私が1番大きく違うと感じたのは「旦那さんの登場回数」

旦那さん役は、ファンの多い人気俳優「コン・ユ」。

原作では時々出て来る程度ですが、映画では、全体的にまんべんなく出演していました。

人気俳優のコン・ユをキャスティングしているのですから、
たくさん出演させようと思ったのでしょう。

個人的には、映画で旦那さんがたくさん出演したことにより、
「キム・ジヨン」側の視点だけではなく旦那さんからの視点も増えて、
話の流れに立体感が生まれ、わかりやすくなったように思います。

それ以外のエピソードは、ほとんど原作と同じで忠実に再現されていました。

他に違うところは、一番最後のシーンかなと思います。


一番最後、キム・ジヨンは、昔からの夢だった作家として仕事をしている様子が描かれていましたが、原作では作家になったシーンはなかったような気がします。

原作を読んだのはかなり前なのであまりよく覚えていませんが…

ずーっとイライラする話が続くので、最後に希望があって、少し救われた感じがしました。

心が元気なときに観たほうがよいです

映画の90%以上の時間が、キム・ジヨンの理不尽な環境や文化のシーンだったので、
殆どの時間、イライラしながら見ていました。

せっかく「娯楽」である映画を観に来たのに、ずっとイライラして、私、せっかくの休みなのになんでこんなにイライラしているんだろうとちょっともったいない気持ちになりました。

劇中で描かれる男尊女卑は、簡単には解決策が見出せず、とてももどかしい気持ちになりました。

日本も韓国もここまでの男尊女卑ではないものの、日常の色々な行動や対応が、いまも心の奥深くに刻まれた男尊女卑から来ているな…と改めて気づくシーンもありました。

「女だから」と名言はしないものの、女という要素によって、これもできない、あれもできない、
これも諦めたほうがいい、出産があるかもしれない、
悪いのは男性なのに女が我慢したり女のせいにされる…

今もありますね。

例えば、女性だから昇進できない場面。
これは、すごくわかります。

出産するのが女性である以上、どうしても妊娠出産すると2~3年のブランクが空き、
私も女ですが、部下になる側としては少し不安が募ります。

部下に女性がいる側でも同じだと思います。

解決したいけど、簡単には解決できない問題です。


あと、キム・ジヨンが痴漢に遭うシーンは特に不快でした。


痴漢なんて100%男性が悪いと思います。

それを、スカートの丈が短いだの、愛想振りまいたからだの、女側に原因を求められます。
(公共交通機関を使う女性の殆どが、そんなことするわけないですよね…)

痴漢は、しない男性だっているんだから、痴漢する男が100%悪い!
それを女性のせいにする風潮、21世紀の今もまだあるように思えます。

それと、これは韓国でも今は殆ど無いと思いますが、
兄弟の中に男の子がいると、長男が最優先で、行きたい大学や必要なものを男にだけ買うなど、男の子供を最大限優先する文化があったようです。

映画ではあからさまに末っ子の長男が優先優遇されていますが、
これも現在の韓国ではここまでひどくないそうです。




・・・振り返って思い出すだけでイライラしてきました。

社会問題をテーマにしているので、パラサイトほどのドラマチックな展開はありません。

心が元気なときに観るのをおすすめします。

あと、劇中の旦那さんは決して完璧な旦那さんではありませんが(ダメダメな旦那さんでもない)、
「コン・ユが旦那さんだったら素敵だな…♡♡」とは思わせてくれます。(笑)

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